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【宣言】日本をサッカー先進国にするために!! ブラジルW杯記念・特別寄稿

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ビッグコミックスペリオールで絶賛連載中のサッカー漫画『フットボールネーション』は日本サッカーに向上を迫る物語。4年に一度のワールドカップを前に日本中が勝利を望む熱気に包まれているが、そんな今だからこそ、いま何が〈課題〉なのか、も考えたい。そこで、『サッカー批評』編集長・森哲也氏に特別寄稿をお願いした。
我々が真の〈FOOTBALLNATION〉の一員となるために――


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日本はメディア後進国? 原稿確認はなんのタメ?


 不思議な現象が起きている。
日本のサッカーは欧州や南米のサッカー先進国=フットボールネーションに追いつけ追い抜けで進歩しようとしてきたはずなのに、サッカーを報じるメディアやそれを取り巻く状況は、後進国への道を突っ走っているようにしか見えないのだ。
 私は『サッカー批評』という専門誌の編集長を務めて8年近くになるが、「ここは中国?」と錯覚するような出来事に遭遇する機会が年々増えている。私はそういった風土は日本がサッカー先進国になるための障壁になるのではないかと危惧している。
 欧州や南米のサッカー先進国からやってきた指導者はたいてい日本のメディアやファンの"寛容さ"に驚く。ドイツ、イタリア、スペイン、ブラジルといったサッカー大国では、メディアもファンもはるかに厳しいからだ。
 一方、報じられる側=取材対象者となる日本のサッカー関係者は決して寛容とは言えない。『サッカー批評』ではタブーなく様々な事象を論じたり、掘り下げるようにしてきた。それゆえ、取材や原稿を巡ってのトラブルも日常茶飯事だ。明らかにこちらに非がある場合もあるが、理不尽なやり取りを強いられることもある。
 日本のサッカーメディアを取り巻く状況が中国のようだと書いたのは、まさに検閲のごときインタビュー原稿の事前チェックが当たり前になっているからだ。
 百歩譲って、発言内容に事実誤認がないか、明らかに発言の意図とは違った使われ方になっていないかを確認するだけならまだわかる。しかし、実際には発言の趣旨を変えようとしたり、都合の悪い部分を削ろうとしたり、ひどい場合は発言とは関係のないライターの意見にまで修正指示を入れてくることもある。これは明らかに表現の自由を侵害している。



欧州や南米の関係者からは一度もないこと


  サッカー選手はマネジメント会社に所属していることもあるのだが、元日本代表選手の取材に同行したマネージャーにこんなことを言われてさすがに絶句したことがある。
「原稿が出来上がったら、ケンエツをさせていただけますでしょうか?」
 たしか検閲は日本国憲法でも禁止されているような行為のはずなのだが...。
 最近は「原稿チェックができないなら取材はお受けできません」と言われることが多く、なおかつその原稿チェック時に抵抗しようものなら「もし直していただけないなら今後の取材をお断りします」と言われてしまうことも少なくない。
 欧州や南米のサッカー関係者に取材をすることもあるが、当人から事前の原稿チェックを要求されたことは一度もない。
なぜ日本はそうならないのか? 私はこれをサッカーファミリーの呪縛と呼んでいる。一石を投じる原稿を掲載したとき、よくあるのが「同じサッカーファミリーとして残念です」というようなサッカー関係者の反応だ。つまりサッカー界の仲間なのに、サッカー界にとってマイナスになるような事を書いて一体何のためになるのか、という感性なのだろう。この場合、騙されてはいけないのが、表向きサッカー界にとってのマイナスとは言いつつも実は組織や個人の保身に過ぎないケースがあるということだ。実際、そういう趣旨で抗議がくることは珍しくない。
 最近もJリーグの某クラブから、「記事内容が事実でもクラブにとって不利益だ」として、抗議を受けた。
 私はサッカー界にとって意義のある記事であれば、たとえ特定の団体やクラブ、人物にとって不利益であっても掲載するべきだと考えている。それがサッカーを愛するメディアの使命だと思うからだ。
 臭いものにフタをする傾向は審判の判定において顕著に表れる。海外であれば微妙な判定はこれでもかとリプレイをして検証を行うが、日本ではなあなあで済ませてしまうことが多い。当たり前だが審判もミスをする。それを徹底検証することで、審判やルールへの理解が深まるチャンスでもあるのに、議論を避けてしまう。
 とにかく日本は問題の核心部分をうやむやにして事態の収束を図ろうとする傾向がある。時として組織を守るための論理が優先される。そういった部分を監視し、真摯に解き明かしていくのがメディアの重要な役割だが、はたしてその機能は充分に働いているだろうか?
 こうした事態を招いているのはメディア側にも問題がある。これはサッカーに限らずかもしれないが、専門媒体や書き手ほど、突っ込んだ内容の記事には慎重にならざるをえない状況にある。クラブや選手から取材拒否をされると、記事作りに支障をきたすからだ。そうなることを恐れるとどうなるか? メディアまでも事なかれ主義に陥り、実際には抗議が来るかどうかもわからないのに自主規制が始まってしまっている。
 一メディアの人間としては、多くの利害をともにするサッカー村というコミュニティの中で、互いの利益が相反するものではないことを理解してもらう姿勢を貫き続けるしかない。サッカー界を良くしていくことは、ひいてはそこに属する組織や個人の利益につながるはずだからである。
 そもそも、日本では批判はネガティブなものとして受け取られる。中には「悪口も宣伝のうちなのでどんどんお構いなく!」と言ってくれる懐の広いクラブの広報もいるが残念ながら希少な部類だ。
 勘違いしてはいけないのは、ただ厳しければいいということではない。大事なのはその意見が的を射ているか否かである。
以前、海外在住の指導者とJリーグの話をしていたら「日本の実況や解説者の言う『素晴らしいゴール』の少なくとも3割はゴールキーパーのミスだ」と指摘していた。
 こうした的確な視点はサッカーの向上に貢献する。
 一方、的外れな批評はサッカーの敵となる。あくまで一例だが、やたらとミドルシュートを打つことを推奨する風潮には首をかしげざるをえない。日本人選手のミドルシュートがなかなか枠内に飛ばない理由については漫画『フットボールネーション』でも触れられているとおりだ。
 日本代表の遠藤保仁(ガンバ大阪)はミドルシュートをあまり打たない理由について「よほどいい体勢で打って、しかもいいコースにいかないと入らない。パワーのある外国人なんかはいいですけど、ボックスの中からシュートしたほうがずっと入る確率は高い」と語っていた。むしろ確率の低いミドルシュートを打ってくれたほうがDFとしては助かる場合も多いのだ。


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W杯の喧騒でファンとメディアの真価が問われる


 貴重な誌面を割いて、メディアの愚痴のようなものを書きつらねてしまったが、ピッチ上で行われるサッカーがそうであるように、メディアで起こっている現象も日本の縮図である。
 昨今、「マスゴミ」という言葉をよく耳にするが、そのマスゴミを成り立たせているのは誰なのか? そういったゴミのような記事のニーズがなければ、マスコミもそういった記事は作らない。
 日本にも目の肥えたファンの数は増えているが、サッカー先進国と比べて圧倒的に少ない。そして、そうしたファンを導く役目を担うはずのメディアも成熟していない。自戒を込めてそう思う。メディアの成熟のためには受け取る側のリテラシーも大切になってくる。だからこそ、ピッチ上の試合だけでなく、メディアに対しても本質を見抜く目で批評して欲しい。サッカー先進国では、ファンのメディアを見る目も厳しく、的外れな記事を掲載するような媒体は早晩淘汰されていく。
 衆愚政治ではないが、国民のサッカーへの理解力=民度がその国のサッカーのレベルを決める。喧騒に包まれるW杯がその真価を問われる絶好の場となる。日本が真の批評で溢れかえるようになれば、そのとき初めてサッカー先進国の仲間入りを果たしたと言えるのかもしれない。



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スペリオールにて連載中『フットボールネーション』第1集



ISBN978-4-575-45442-0.jpg

サッカー批評 第68号 発行/双葉社



森哲也
1978年、兵庫県淡路市生まれ。2006年より隔月刊『サッカー批評』編集長。「良質なサッカー書籍が日本のサッカー文化を豊かにする」という主旨で立ち上げた「サッカー本大賞」の実行委員も務める。


※この特別寄稿は、5月23日発売のビッグコミックスペリオール(2014年第12号)にて掲載されたものの転載になります。


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(スペリオール編集部)

【2014/06/12】

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